メディア

日本VSオランダ戦からみるハイビジョンの普及度合い

オランダでの試合なので、中継はメインのカメラはオランダのテレビ局が組んで、補助の3台くらいをテレビ朝日が入れたと思います。

で、オランダのテレビのテレビ局が受け持っていたであろう引きの全体画面とかが、完全にハイビジョン画角で、アナログテレビで観戦していたので、ボールが映っていないこともしばしば。
ああ、ヨーロッパはハイビジョン主流に移行したんだなと感じました。
日本だと、こう大胆にはカメラアングルをハイビジョンには寄せないですね。アナログ放送にも配慮して画角を決めてますから。
NHK-BS(アナログ)で、メジャー(野球)とかバスケットを見てる分には、そんなに不都合は感じませんから、ヨーロッパだけが「進んでる?」。

オランダのテレビ放送のデジタル移行度合いを正確に知っているわけではありませんが、ヨーロッパだと代表戦とかチャンピオンズリーグとかは、サッカー好きな人はスポーツバーでワイワイやりながら見るわけ(昼間にカフェとかでブラブラしてると、夜はスポーツバーに集まろうぜと誘われたりしますね)で、当然ながら、そうした施設ではハイビジョンテレビが設置されてますから、ターゲットユーザーを考えると、ハイビジョン画角で放送するのが当然なわけです。


ヨーロッパでも、普通のホテルに泊まってる分には、アナログテレビが置いてあるし、テレビの全部が全部、ハイビジョンになったわけではない(国とか地域で違う)のでしょうが、それでもリッチコンテンツに関しては、ハイビジョン前提になったなあと、時代が変わったのを感じました。


(ゲームは、相変わらずというか、予想通りでしたが:苦笑)

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新築の家のテレビアンテナ

新築の戸建て住宅で、UHFのアンテナのみを用意している例が出始めた。
なるほど、テレビ局側の地デジへの放送移行が整い、アナログチューナーを全廃しても、テレビを見るに当たっての不都合はないわけだから、今さら驚くまでもないのかも知れない。

一方で、いまだにVHFのアンテナも設備する新築住宅は多い。
集合住宅はもちろんだし、戸建てにおいても、まだこちらが多数派のようだ。
つまり、アナログを全廃できないのであろう。

家を改めるに当たって、どうせ出入りの時期だし、省スペースにもなるし、心機一転にもなるし、地デジ対応の大型テレビを買う人も多いだろう。まあ、安くなったしね。
けれど、アナログチューナーを全廃するほど買い換えるには案外やっかいだ。
サブのテレビも全て買い換えるのは大変だし、HDDレコーダーにもアナログチューナーは内蔵されている。
特に後者がネックなのではないだろうか。

UHFのアンテナのみに割り切った家屋の住人は、高齢者のみのご夫婦であることが多いように察している。
VHFのアンテナを併設している家屋は、小さな子供がいる構成人数の多いようである。
つまり、前者は「テレビ」として、リビングに一セットのみがあり、レコーダーを必要としてない(使いこなせない)か、モニタと同時に更新してしまえて、後者は、既存のアナログ関連テレビ機器を複数有していて、それをレガシーデバイスとして、まとめて一新することはなかなか難しいのだろう。

アナログ停波まであと2年あまりだというのに、家の新築を機にさえ、テレビ関連機器のデジタル化を完全には移行できないのだから、デジタルテレビの普及度合いは、まだまだなんだろうななどと思ってみたりした。

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「いろいろもう死んでいる(雑誌編)」に思う

竹熊健太郎の「いろいろもう死んでいる(雑誌編)」を最新とする一連のブログは、よくぞここまで言いましたという提言だと思います。

雑誌に関して言うと、「買わない」→「部数が落ちる」(*1)→「広告がつかなくなる」(*2)→「(*1+2の理由により)制作予算が落ちる」→「つまらなくなる」→「買わない」のデフレループに陥っている。


「つまらなくなる」から「買わない」の部分はしかたないとして、広告に関しては見直しの余地がある。
(いや、見れば見るほど、現状がバブルで、地獄の釜のふたが開いたと思うかもしれないが)

広く告げると言う広告ビジネスはもうとっくに終わっていて、『Googleは「Chrome」でMicrosoftの牙城を一気に切り崩す-んなわけないだろ』にあるように、顧客データを実績としてとって納品するビジネスに切り替わってきている。


ただ、グーグルが勘違いしているように思えるのは、クライアントが求めているのはプライバシーではなくて、消費につながる情報である。ここは重なる部分もあるけど、異なるところがある。

このあたりの事情は、『マーケティング・リテラシー』に書いたとおり。

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この微妙にして、決定的な差に、従来言うところの広告の最後の可能性があるのだが、メディアの人はそこに気がつくだろうか。そして、その綾をついて、ビジネスにまで持って行けるだろうか?


グーグルは分かっていて、プライバシーに踏み込んでいるのか、不注意に踏み込んでしまっているのかは、今のところ良く分からないのだけれど、広告収入型モデルとしては踏み込みすぎは失敗になる。(グーグルは本当に、広告ビジネスの会社なのか?)

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消費者庁は地デジを止められるか?

肝いりで消費者庁が立ち上がった。
具体的には、何をする省庁なのだろうか?
「消費者行政」という単語を何度かニュースで見たが、「消費者主導のマーケティング」と同様に、倒錯した概念であるなあと言うのが、まず第一感。


よく考えてみれば、あたりまえの概念である。
現在の日本社会は、民主主義を制度としているわけで、有権者≒消費者なので、民主主義を日常生活においても体現すると考えれば、概念としての矛盾はないし、もちろん悪いことでもない。


問題は、本当に役に立つのかというところだろう。
「消費」として何をイメージし、何を求めるのかは、人によってさまざまである。
安全を求める人もいるだろうし、安価を優先する人もいるし、安定供給こそを欲する人もいるだろう。
こうした消費者の多様化が、「とりまとめ役」にとって大事で難しいというのは、生協(COOP)の混乱ぶりを見れば分かる。
安売りで一時は市場を制覇したダイエーが没落し、現代日本の消費の象徴でもあったコンビニもパッとしない。

さて、役所に「消費」と言う難題に対処ができるものだろうか
消費のあらゆることに合意を作り上げることは不可能なので、さしあたって、役所の得意な分野でその期待に応えて欲しい。

具体的には地デジを止めて欲しい。
テレビのデジタルハイビジョン化は世界的な傾向だし、電波の有効利用のためにも良いだろう。
しかし、地上デジタル放送でやるのは、中継局の問題などから考えて、コストはかかりすぎるし、放送対象外の人と地域が発生してしまう。
あと、BーCASカードという、意味不明の管理規格は止めて欲しい。
用途がなく(郵便番号単位で小分けした広告配信でもするのだろうか?)、それでいて消費者にコストであり、また、消費者にとって何の利便性もないわけで、「地デジ+B-CAS」のどう考えても失敗しそうな規格は、消費者のためにならないので、廃止あるいは改廃してほしいものである。

将来的には、NGNに統合されていくのだろうが、当面は放送という情報配信のしくみはいるので、BSまたはCSでハイビジョン放送を行うのが宜しい。
3年前から言っているけど、CSのチャンネル数なら、地方局全部をまかなうことが可能で、しかもそのコストは地デジよりはるかに安いのだから。

産地偽装とかの消費者から見ての常識が通らないから、消費者庁ができたわけで、「地デジ+B-CAS」というへんてこでかつ日本ローカルでしか通用しない規格は止めさせて欲しいものだ。
せめて、B-CASがなぜ組み込まれたのかと言う謎くらいは、明確にして欲しい。

このくらいのことをしてくれるのなら、消費者庁を作った意味があると思います。

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【メモ】 ジャーナリズムを飼っておくコスト

もう、先進国の消費者には、マスメディア広告は利用されていない。
広告はもう終わっちゃったスキームなのだ。
だから、メディアの広告売上は落ちる一方だ。
しかし、広告売上の低下を持って、メディアの組織の値段を決めてしまうのは間違いだろう。


NYタイムズの市場価値、驚きの低評価
広告収入の激減がきっかけとなり、株価は1年前の半分に下落

NYタイムズが保有する米ボストン・グローブ紙と14の地方紙を売却した場合の税引き後の価値は5億7500万ドルになると試算

と言う記事(http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080731/166787/)は、これまた勘違いではなかろうか?

と言う記事を、大胆に要約すると、広告売上が落ちている新聞の経済的価値はこんなものだ。と言うことである。
もちろん、反論も載っていて、

実際、誰もが信頼する新聞であり、ウェブサイトへのアクセス数も非常に多いNYタイムズ紙だけでも、7億5000万ドル以上の価値があるのではないか。(中略) 「NYタイムズは、これから先もずっと消え去ることはないだろう。(評価額は)あまりにも悲観的すぎる。必要なのは、広告収入の回復だけだ」。

とあるが、こちらにも賛同できない。
新聞広告の売上がかつてにような水準に回復することは、もうないからだ。
そういうあり得ない希望値を持って、新聞の価値の復権を主張するのは、本質的ではないだろう。

メディアにおける広告の売上比率は大きい。
新聞の面積あたりの制作費を調べたら、記事と広告では桁違いに広告の方がでかい。
たぶん、二桁違うのではなかろうか?
「読ませる記事」「買うに値する記事」とはいうものの、定期購読に支えられているだけで、実際に金を払ってまで手に入れたい記事は少なく、払って良い代価は少なく(業界では、一記事100円相当なら上出来と言われる)、また、実際に金を払ってくれる人は少ない。
と言うような、売上の事情から、NYタイムスの価値は安く見積もられちゃうんだろうけど、記事の経済効果を軽く見過ぎじゃないのかな?


NHKスペシャルで、ユニリーバ・インドが子供を使ったプロモーションをしていたと言う報道はPR担当にとって悪夢(http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20080726/166354/)と言うような話もあり、番組・記事の影響力はでかく、それは広告では(直接は)買えないし、その事実を広告で打ち消すことは難しい。


だから、テレビにしろ新聞にしろ、影響力があるのは、番組や記事である。
そこに読者は金を払うし、そこに自社の情報の載せてもらうために、各企業は大枚と人手をかけるのである。

約20%の米広告主がニュース記事を書いてもらうために広告を出稿(http://adinnovator.typepad.com/ad_innovator/2008/07/20.html)なんて記事があるように、広告は記事を書いてもらうためのあいさつ料(ここでは書いてないけど、悪い記事を書かれないためのみかじめ料でもあったりする)なのである。
まあ、「20%」だから、8割はそんなことしてないよと言う風に読むべきなのかな?
でも、こうした質問に素直に答えるウブな広報も少ないと思うが?
「当社は、記事や番組に取り上げてもらうため、広告を出しているのです」と素直に答えた企業が20%もいたと言うことがむしろ驚きだ。


有り余る広告費で、記事や番組の内容を買いに来るご時世に、売上を落としている新聞社やテレビ局は、どうやってその誘惑に打ち勝つか?
「報道の中立」というきれい事はさておき、アイフォーン報道のようなプロモーション記事を扱ってしまう「無作為の作為」のような行為は減らないどころか増える一方だろうな。だって、こういう「記事」を載せれば、広告営業になるし、載せないと広告掲載を撤回されたりするわけで、広告売上のためには載せざるを得ない。

こういう時代において、批判報道は本当に難しい。
取材が困難で、時間と金がかかり、結実するとは限らず、仮にスクープまで持って行けたとして、それでいて売れるとは限らないから。
(スクープを合法的に埋没させるPR技術はすでにあるし)

今は、ネットなどですさまじく非難されているが、曲がりなりにもジャーナリズムはある。
その実態はとても手放しで礼賛できる者ではないが、それでも事実を発掘し、不正を告発するプロは必要だ。
ブロガーが代替する部分もあり、かつてのような記者クラブに座らせておいて、リリースを転載するような記者はもういらないけど、「本当のこと」を調べて報じるシステムは要るよね。

NOVAとかグッドウィルの実態は、ちょっと調べれば分かっていた訳なのだが、結局、膨大な広告費の前に、記事となることはほとんどなかった。
でも、これだと消費者は困るんだよね。
「本当のこと」を調べて報じるプロ、すなわちジャーナリズムを飼っておくことは必要で、そのコストをどうやって負担するかが、これからのメディア再編において重要ではなかろうか。


【広告】
ジャーナリズムの飼い殺しの仕方と、本物のジャーナリズムを番犬として飼っておく必要性や方法について

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地デジは失敗でした

岩手・宮城内陸地震の被災現場を地上デジタル放送で見た人も多いだろうが、土石流に巻き込まれた駒ヶ根温泉は地デジの放送対象外で、その放送をあの近辺の人たちは見ることができない。
そんな「電波が届かない」ところから、取材班がハイビジョン映像を送ることができるのは、通信衛星を使っているから。今では、パラボラアンテナも送受信機も小型化しているので、日本中のどこからでもハイビジョン中継ができる。同様に衛星を使って放送すれば、テレビ放送における地域の格情報差や途絶(!)を解消できる。
こう言うと、地方テレビ局の人は、「地方発の映像文化の危機」と反論するのだが、今回の地震の被災県にいた者として意見させてもらえば、土石流に巻き込まれた温泉や崩落した道路の上空を旋回して放送し続けるのは、火事場見物であって、災害報道ではない。
地震などの大型災害の直下では、自分の置かれている状況が分からない。じっとしていれば良いのか、避難した方が良いのかが、まず分からない。逃げるにしてもどの交通網が生きているのかが把握できない。
なので、複数のテレビ局があちらこちらにヘリを飛ばして、被災の状況を伝えてくれるのは、本当にありがたい。ところが感心できないのは、その後である。派手な現場が見つかると、全局がそこに集中してしまう。
被災者と救援に向かおうとしている人が求めている情報は、どこに危機があり、脱出や救援のためにどの道路が使えるかである。
だから、震源地や大規模被災地を中心に、各局がヘリを別々の道路に沿って飛ばしてスクロールしながら生中継してくれるとありがたい。どの道路が使えるのか、あるいはどこで寸断されていて、どこまでは行けるのかを報じてくれると本当に助かる。今時であれば、GPSと連動させて崩壊箇所を電子地図上に表示することは容易だし(今回、これをしたテレビ局は一つもない)、カーナビに情報を送って、被災地への到達可能ルートをナビゲートすることも可能なのだが。
こうした地域に有用な取材放送ができない理由は「絵にならない」から。崩落や事故や泣き叫ぶ人の姿がないと全国ニュースの素材にならないので、キー局から叱責されるからだ。
地方の民放テレビ局は、広告売り上げの激減で、経営破綻状態にある。存続できているのは、キー局の番組を放送する電波料で「食わせてもらっている」から。」金づるの意向には逆らえない。
そこに放送規格として失敗している地デジがダメを押す。なにしろ、田舎では地デジは映らないのだから見ようがない。キー局発の全国向け番組ならば、衛星経由で受信すれば事は足りる。
もはや用済み扱いされそうな地方の民放テレビが、「公共性」を根拠に生き残りを図るのなら、せめて災害報道くらいは、地元被災地への配慮を優先しておいた方が良いでしょう。でないと、お膝元の視聴者から、地デジへの公的資金注入に反対運動が起きます。
(『週刊金曜日』用原稿。掲載時期繰り延べにより、自主的にボツにしました)


メディアから、「テレビについてのコメント」を求められることがあるが、今年になってから、明らかに潮目が変わりました。昨年末に『週刊文春』がテレビに対して厳しい連載記事を載せていましたが、その時は「批判」であり「叱る」という文意でした。
現在発売中のサイゾー7月号では、「提言! 「死んだテレビ」は再生できるのか?」にテーマが変わっており、来週発売のある週刊誌からは「地デジがダメっていうテーマは今更なんですが…」との話から、インタビューされました。
もう、テレビ(特に、地上波民放)の絶対的な強さはなくなったというのは、共通認識になりつつあるようだ。


アナログ放送は停波させなければならないとして(電波の効率的利用から考えて、これは当然と考える。もっとも、2011年にできるとはとても思えないが)、地デジがその代替となりえないのは、先に述べたとおり。
低所得者や情報僻地対策として補助を行うのなら、BS&CSの受信設備を配布する方が地域間の情報格差の解消としては良く(南側さえ開けていれば、日本中どこでも映る)、地域からの情報発信や消費との連動などの高付加価値化を図るのなら、NGN(光ファイバーでラストワンマイルは無線LANあたり)に投資するのが良いのではないでしょうか。


(6/25 追加分)

災害報道には、衛星回線(SNG)こそが主流」と言う話が出ています。
(『池田信夫 blog』2008/06/25)

また、都市部でビルや電線などで、電波による伝送が危ういときには、固定カメラからの上り信号は、有線(光ファイバーや、一昔前だとケーブルテレビの上り回線)を使ったりするものです。

放送塔を建てて、そこから電波を送信して放送するのも、放送塔に向けてマイクロを送って中継するのも、かつては優れた技術でしたが、代替手段が発達してきて、地上波(デジタルは「波」ではありませんが)のしくみはもはやかつてのような主役ではないのです。

【以下、宣伝です】
「地デジは失敗ですし、映像ビジネスにとって、地上波民放テレビは技術としてもビジネスとしても、じゃまなのです」ということが書いてあります。

マーケティング・リテラシー―知的消費の技法


著者:谷村 智康

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