「いろいろもう死んでいる(雑誌編)」に思う
竹熊健太郎の「いろいろもう死んでいる(雑誌編)」を最新とする一連のブログは、よくぞここまで言いましたという提言だと思います。
雑誌に関して言うと、「買わない」→「部数が落ちる」(*1)→「広告がつかなくなる」(*2)→「(*1+2の理由により)制作予算が落ちる」→「つまらなくなる」→「買わない」のデフレループに陥っている。
「つまらなくなる」から「買わない」の部分はしかたないとして、広告に関しては見直しの余地がある。
(いや、見れば見るほど、現状がバブルで、地獄の釜のふたが開いたと思うかもしれないが)
広く告げると言う広告ビジネスはもうとっくに終わっていて、『Googleは「Chrome」でMicrosoftの牙城を一気に切り崩す-んなわけないだろ』にあるように、顧客データを実績としてとって納品するビジネスに切り替わってきている。
ただ、グーグルが勘違いしているように思えるのは、クライアントが求めているのはプライバシーではなくて、消費につながる情報である。ここは重なる部分もあるけど、異なるところがある。
このあたりの事情は、『マーケティング・リテラシー』に書いたとおり。
![]() | マーケティング・リテラシー―知的消費の技法
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この微妙にして、決定的な差に、従来言うところの広告の最後の可能性があるのだが、メディアの人はそこに気がつくだろうか。そして、その綾をついて、ビジネスにまで持って行けるだろうか?
グーグルは分かっていて、プライバシーに踏み込んでいるのか、不注意に踏み込んでしまっているのかは、今のところ良く分からないのだけれど、広告収入型モデルとしては踏み込みすぎは失敗になる。(グーグルは本当に、広告ビジネスの会社なのか?)
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