日本VSオランダ戦からみるハイビジョンの普及度合い

オランダでの試合なので、中継はメインのカメラはオランダのテレビ局が組んで、補助の3台くらいをテレビ朝日が入れたと思います。

で、オランダのテレビのテレビ局が受け持っていたであろう引きの全体画面とかが、完全にハイビジョン画角で、アナログテレビで観戦していたので、ボールが映っていないこともしばしば。
ああ、ヨーロッパはハイビジョン主流に移行したんだなと感じました。
日本だと、こう大胆にはカメラアングルをハイビジョンには寄せないですね。アナログ放送にも配慮して画角を決めてますから。
NHK-BS(アナログ)で、メジャー(野球)とかバスケットを見てる分には、そんなに不都合は感じませんから、ヨーロッパだけが「進んでる?」。

オランダのテレビ放送のデジタル移行度合いを正確に知っているわけではありませんが、ヨーロッパだと代表戦とかチャンピオンズリーグとかは、サッカー好きな人はスポーツバーでワイワイやりながら見るわけ(昼間にカフェとかでブラブラしてると、夜はスポーツバーに集まろうぜと誘われたりしますね)で、当然ながら、そうした施設ではハイビジョンテレビが設置されてますから、ターゲットユーザーを考えると、ハイビジョン画角で放送するのが当然なわけです。


ヨーロッパでも、普通のホテルに泊まってる分には、アナログテレビが置いてあるし、テレビの全部が全部、ハイビジョンになったわけではない(国とか地域で違う)のでしょうが、それでもリッチコンテンツに関しては、ハイビジョン前提になったなあと、時代が変わったのを感じました。


(ゲームは、相変わらずというか、予想通りでしたが:苦笑)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

エンドレスエイト考 その2

『エンドレスエイト』は、タイトル通り8回の繰り返しで終わった。
注目したのは、その後、どう話をつなげるのかであった。
裏人気NO.1の長門さんを真ん中に据えて、異色の話が展開するんじゃないか。あの長門さんが暴走するという設定を視聴者にも共感させるためなんじゃないかな、『分裂』につなげるのなら、延々とした繰り返しもありじゃないかなと思っていたので。

第一シリーズも、原作の流れを無視して、良い意味で評判を取っていたことだし、今度も遊んでくるのではないかと、判断を保留していた。そうとでも考えないと、どう見ても退屈な繰り返しにしか見えなかったので。5回目くらいからは、かなりうんざりしながら見ていたが、それもシリーズとしての演出ではないかと淡く期待して。


と言うことはありませんでした。
原作の順序通り学園祭の準備に話は進みました。


な~んだ
┐(´д`)┌ヤレヤレ
と言う感じでしたね。

制作委員会方式だからできてしまう構成上の暴走でしたね。
原作が滞っているから、話を進めたくなかったのでしょうか?
まあ、暴走かどうかは、DVDの売り上げで決まるわけですが、特典もつかないようですし、よほど好きな人かレンタルショップに並べる分くらいしか売れないのではないでしょうか?


21世紀に入って、製作委員会方式(まあ、日本的なかな~り本来の趣旨とは違ったものになりましたが)が引きおこしたコンテンツバブルの最後の輝きだったのかもしれませんね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

マクドナルドのコーヒーは、なぜ「美味い」のか?

リンク: コーヒー無料!マックの戦略.

マクドナルドがコーヒーを、100円に値下げしたり、時として、無料で振る舞ったりするのは、一種の広告(≒客寄せ)である。メディアに大枚はたいて、広告をするよりも、安価あるいは無料でコーヒーを出すということ自体に話題性があり、誘客につながる効果的なプロモーションである。
100円、あるいは、無料という価格も分かりやすい。
それが高いか安いかという相対的な判断をするのに、チェーン店のコーヒーショップや缶コーヒーという具体的な比較物があり、それらと比べて、確実に安いと見なせるからである。特に、缶コーヒーという座る場所が用意されていない飲むだけサービスよりも廉価というのは、インパクトがある。
まあ、価格とプロモーションからみたマクドナルドのコーヒーについては、既に語られているので、プロダクト---つまり、マクドナルドのコーヒーはなぜ「美味い」のか---について考えたので、ちょっと記しておこうと思う。

本当に美味いコーヒーを入れようと思ったら、上質の豆をきちんと焙煎して丁寧にドリップするのが常道。だが、こうしたコーヒーは、それなりの値段になる。いくらマクドナルドのバイトの時給が安かろうが、良い豆を使ったら、絶対割に合わない。広告と割り切って、原価割れで出すにしても、逆ざやが大きすぎる。安く出そうと思ったら、豆は低品質のものを使うしかない。
質のよろしくない豆を、焙煎で工夫したり、入れ方に凝ったりすることで、いくらかマシにすることはできる。手間と暇をかければ、原料は悪くても、それなりに美味しくできる。だけど、手間ひまかけたら、人件費がかかるから、やっぱり安くは出せない。あと、豆の質はやっぱりある程度欲しくなる。
コストをかけずに、コーヒーを楽しむ方法として、広く知られているのは、ミルクや砂糖をぶち込んでしまうことだ。そうすれば、コーヒー豆の質の悪さを他の味でごまかすことができる。「ごまかす」と書いたが、決して悪いことではなく、高品質の豆が手に入らない場合の工夫として評価して良いと思う。良いコーヒー豆が高くて買えない発展途上国とか、まだ、貧しかった頃の日本とか。ベトナムコーヒーとか京都の老舗コーヒー屋は、こうしたミルクや砂糖(あるいはその両方)をぶち込んだ工夫のコーヒーだ。日本が世界に誇る(笑)缶コーヒーもその系譜にある。(日本にだけなぜ缶コーヒーがあるのか?海外ではなぜ缶コーヒーが普及しないのかについては、また後日)
質の良くない豆でも、「美味い」コーヒーを入れる方法は他にもある。『美味しんぼ』の中にも登場したし、確か、究極のメニューにも採用された(と思うけど、記憶違いだったらごめんなさい)水出しコーヒーである。
質の悪い豆は、雑味が多い。だが、水出しなら、その雑味が出ない。
『美味しんぼ』の中では、専用の器具で入れていたが、水出しコーヒーは、プラスチックのボールに水(東京や大阪のような水のまずい地域を除けば、水道水でOK)を張って、そこに極細にひいた豆をぶち込んで、小半日ほど冷蔵庫の中におけばできる。
注意しなければならないのは、ボールは金属製ではダメなこと。せっかくの雑味のないコーヒーに金属の味がついてしまうから。そこさえ注意すれば、誰でも簡単に雑味のないコーヒーを入れることができる。
ドリップと水出しコーヒーの味を、それぞれ豆腐に例えると、木綿豆腐と絹ごし豆腐のようなもの。食通は圧倒的に前者を押すだろうが、美味くない前者よりは、ほどほどの後者の方がずっとマシ。いや、後者にだって熱心なファンはいる。どっちの豆腐がうまいかで、大山康晴と升田幸三が将棋で勝負をしてたりするし(麻雀マンガみたいだが、昔の将棋はこういう世界であった)。
話を元に戻すと、マクドナルドのコーヒーは、雑味の少なさから水出し系のコーヒーであろうと推測するところである。これなら、安い豆からでもうまみだけを抽出できるから、100円で、すっきりまろやかな味のコーヒー提供できる。
安価なコーヒーの可能性を極めんばかりの缶コーヒーだが、前述のように、水出しコーヒーに金属は不向き。なので、水出しの缶コーヒーはたぶんない(ペットボトルとかでなら出せる)。
マクドナルドのコーヒーが魅力的に見えるのは、缶コーヒーというさんざんプロモーションされて日本人になじみのあるプロダクト&サービスを「踏み台」にして、消費者に暗黙の内にそれらと比較させて「安く」、「美味く」あるからでしょう。

もう少し、余談めいたことを書くと、水出しコーヒーには一つ重大な欠点があって、味は良いんだけど、香りが全くない。だから、一般にアイスコーヒーとしてしか用いられない。ホットで飲むと、なめらかな味だけがあって、香りがないのが違和感だから。
マクドナルドのコーヒーには、ホットもあって、香りはいちおうする。だから、たぶん(あくまで推測ですが)、水出しをベースにドリップのコーヒーとブレンドしてるんだと思う。割合は、8:2とか9:1くらいで。
マクドナルドのコーヒーの「美味さ」(水出しコーヒー系の味って、飲み飽きると思うけどなあ)の秘密に関しては、缶コーヒーメーカーとかコーヒーチェーンの「バリスタ」の人たちは気づいていると思うけど、対策に頭を抱えてるでしょうね。似たような味のコーヒーは、すぐにでも作れるけど、同じ値段で提供することはできないから。
マクドナルドにとっては広告だから100円(時として、割り切って無料)で良いけど、コーヒー屋にとってはそれ自体が商材だから。缶コーヒー屋さんたちは苦労して、ワンコインの壁を破り、120円の値段を消費者に納得させ、あわよくば「高級品」は150円とかで売りたいところを、思わぬ所から、足をすくわれた格好。
(4Pとか5Fのチャートにまとめると、マーケティングの教材として使えそうだなあ。)

マクドナルドの激安コーヒーに死角はないかと考えてみるに、缶コーヒー屋さんは厳しい。販路(place)は数では自販機とコンビニで、マクドナルドの店舗に勝るけれど、マックにはイスがあって座れて、WiFi環境があるから、まあ互角。味(product)は何とかするにしても、価格(price)で対抗できないし、価格に勝るプロモーション(promotion)はこのご時世ではちょっと思いつかない。
あるとしたら、コンビニかスーパーが目玉商品として、似たようなコーヒーを激安で提供してくる後方参入の可能性かな。いずれにせよ、草刈り場は既存の缶コーヒー市場。
キリンとサントリーの合併話は、ビールで語られることが多いけど、ソフトドリンクも構造は一緒で、規模で生き延びつつ、海外に活路なんだろうなあ。


と言う市場の先行きを読みつつ、じゃあ消費者はどうすればいいのかについては、海外には缶コーヒーがない話に絡めて、後日。
その際にも参考になると思いますので、拙著をお読みいただければ幸いです。

マーケティング・リテラシー―知的消費の技法Bookマーケティング・リテラシー―知的消費の技法


著者:谷村 智康

販売元:リベルタ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (0)

儲かるゴミ収集という恐怖

昨年、『マーケティング・リテラシー』と言う本を出しましたが、「その内、マーケティングの精度を向上させるために、プライバシーを売り買いするようになる」と言うようなことを書きました。その延長線上の冗談で「ブログを書かないと、管理者から叱られるようになる」みたいなエピソードを書いたわけですが、今ではmixiで日記を書かないでいると、

最近は更新がありません
日記でマイミクシィに近況報告!

と注意されちゃうわけです。


こういうメッセージが出せるのは、メモリーの節約なんてことを考えなくて済む時代になったからなんです(テキストデータの容量なんてたかが知れてますし)が、グーグルのストリートビューが登場したのには驚きました。技術的には別に新しいことではありませんでしたが、現実に撮影の車を走らせ、かつ、サーバーに残しておくことが、コストとして一企業が受け入れ可能なんだということにはたまげました。
(ストリートビューが、どういう収益モデルにつながっていくのか、そして、それは採算が取れるのかについては、まだ良く分かりませんが)

プライバシーのからみで、人の顔とか車のナンバーはぼかしを入れて公開しているストリートビューですが、元データはそのまま残しているそうです(高木浩光@自宅の日記)。画像の保存コストが下がっているので、そうなんだろうなあと思ってはいたのですが。


画像の保存コストが下がっているから、一昔前だったら考えられないような細密な記録が残せるよなあ、良くも悪くもと思っていたところ、

1.ゴミ袋を開けて、内容物の写真を撮影している
2.個人情報が特定できる書類などを、内容が読める状態の画像で記録している

と言う話を見つけました。
松浦晋也のL/Dで私は気がつきましたが、元々は『クロノス・クラウン』が最初のようです。

これは、想像しなかったわけじゃないんですよ。
ゴミの分別の徹底という今回の話ではなく、マーケティングのネタとして。
だって、家庭名とリンクして、ゴミの詳細がデータ化できるってことは、リアルな消費の記録が取れると言うことじゃないですか。
一昔前の市場調査や消費動向調査はもちろん、ライフログ(こんな言葉は、一年前に出版したときには、まだなかったですよ。あっという間に、当たり前の単語になりましたが)とPOSをリンクさせた最先端の行動ターゲッティングであっても、分かるプロセスは購買までであって、どう使われたかはトレースできてません。
ところが、ゴミを記録し、分析すれば、消化の状況まで分かるわけです。


横浜市にその発想はまだないと思いますが、ゴミ収集はマーケティングのデータ収集の機会として、使えるってことです。
困ったことに、推進するメリットがあって、ゴミ収集という、実は誰もやりたがらない(ヨーロッパだと、仕事になかなかありつけない移民の仕事だったりします。日本では、いろんな噂は聞きますが、少なくとも、大学生の就職希望ランキングの上位に出てくることは、全くないわけで)、なんの付加価値も生まない単純作業が、高付加価値業務に化ける。平たく言うと、儲かっちゃうわけなんです。

「シックスシグマに基づく分析により、NVA(Non-Value Added:非付加価値業務)でしかなかったゴミ収集を、VA(Value Added:付加価値業務)にシフトさせ、ゴミ収集をコストがかかるばかりの公共的負荷ではなく、儲かるビジネスに変えることができる」とか四象限チャートを使って提案するコンサルタントとかマーケッターがいそうだな。
bogusnewsのネタみたいだけど、今、コンサルも広告代理店も仕事ないから、本当にやりそうで嫌だな(安永航一郎調で)。
ゴミの写真を分析する画像解析ソフトとか、ゴミについてるバーコードを読み込んで集めたデータを分析するITシステムは、技術的にはできるし、そのデータを(こっそり)買いたがるクライアントはいるからなあ。全国の自治体は赤字であっぷあっぷなので、赤字部門が収益を産むとなれば導入しちゃうよねえ。ゴミの分別の徹底にもつながるって大義名分もあるし。
プライバシーを盾に抵抗しようにも、「ITの進化した現代においてプライバシーなど存在しない」とか「家の外側に出されたものにプライバシーなんてないんだ」と言うのが、ストリートビューをめぐってのネット世論だったし、ストビューで顔やナンバープレートにぼかしを入れたみたいに、個人を特定しない「担保」さえかませば、導入を押しとどめるロジックはないんだよなあ。

技術の進歩は止められないし、止めようとも思わないけど、どっかで人の幸福と調和というか妥協させる必要があるんじゃないかな。儲かるしくみ(=マーケティング)を追求していただけなのに、いつのまにか『1984』的な超管理社会ができあがっちゃっていたということにならないためにも。


社会の変化はすっごく早いんで、すでにネタとして古くなったものもありますが、プライバシーとマーケティングという部分では、拙著はまだ古くないって言うか、良いとこ突いていると手前味噌だけど思ってます。
ぜひ、お手にとって見てください。

マーケティング・リテラシー―知的消費の技法Bookマーケティング・リテラシー―知的消費の技法


著者:谷村 智康

販売元:リベルタ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

続きを読む "儲かるゴミ収集という恐怖"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エンドレスエイト考

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が不思議な動きをしている。
第一期も、自主映画の回から始まり、原作を読んだことがない人には分かりにくい、ひねったシリーズ構成であったが、第二期は、そもそも第二期とは明示されず、一期の再放送から始まった。
で、その途中に「サプライズ」のように新作『七夕ラプソディ』が、その後、『エンドレスエイト』が放送されている。

『エンドレスエイト』は、夏休みが終わってしまうことに満足しないある種の設定により、8月の後半を一万五千回余り繰り返していると言う話だ。
原作では短編なのだが、アニメではその(ほとんど)同じ二週間を、毎回、ほぼ同じシナリオで、作画を変えて放送している。
現在は、5回目。

演出意図としては、同じシナリオで絵を変えて、どれだけ違った作品が作れるかという模索かも知れないし、一万五千回余りを全て記憶している「宇宙人」の長門さんのうんざり感を視聴者にも共有させようという意図かも知れない。

「楽しい時間を延々と繰り返す」という話としては、押井守の出世作『ビューティフルドリーマー』があるが(超有名作なので、『ハルヒ』の作り手が知らないはずはなく、また、『らき☆すた』の中の角川のCMで『ビューティフルドリーマー』のエンディングテーマを使っていたので、まず間違いなく意識していると思うのだが)、それにしたって、繰り返しのシーンは早々に終わり、話を進める。
『エンドレスエイト』はまだ「リピート」が続くようだ。

こうした深夜アニメは、放送枠をクライアントが買い取って放送しているので、こうした実験的な試みのリスクは、放送局ではなくクライアントが負うので、まあ、それはどうぞご自由にという所だが、ビジネスモデルとしてはDVDの売り上げで回収するわけだが、果たして同じ話の繰り返しが売れるものだろうか?
『エンドレスエイト』の演出も、衣装が違うとか、細かい差異はあるものの、素人目には大した差ではなく、最終的に何話で決着がつくのかは分からないが、まとめてDVDを買わせる魅力はちと弱いような。
たぶん、売るために、特典はいろいろつけるだろうが…

製作委員会方式というビジネススタイルの中で、DVDで回収するモデルがそろそろ飽和する中で、年間にアニメは100作前後作られているわけで、こういう実験的な試みはあっても良いと私は思います。
リスクはクライアントであり、プロデュースしている角川が負っているわけですしね。
映像ビジネスのマーケティングの実験として、ちょっと注目してます。
(売れないと思いますが:笑)

だって、映像として各話そんなに違いがあるわけではなく、全話揃える魅力に欠けると思うんですよ。
アニメーター志望の人が、同じシナリオから、違った作品ができあがる差を研究するような教材としては良いかもしれませんがね。


『エンドレスエイト』については、ビジネスの実験としてはちょっと面白いと思いますが、作品としては好きではありません。同じシーンを繰り返し見せられるのが退屈なのではなく、キャラクターの解釈が釈然としないんですよ。
主人公のキョンくんは、8月の末日になると、どうにもならないから、リピートされたその時の自分が対処すればいいとふて寝しちゃうんですが、彼はそう言うキャラクターではないと思うんです。
長門さんがうんざりしている姿に気がついた以上、その長門さんの微細な感情を見逃さず、解決に向けて微力ながら全力を尽くすのがキョンくんじゃないんですかね。
原作では、リピートに気がつきつつ、それでもかなりの回数のリピートをさらに繰り返していたと言う設定なので、一発で解決するわけではないのでしょうが、長門さんを心配して、無限ループからの脱出に力を尽くすのではないかなと。


まあ、後、何回『エンドレスエイト』が続くのか分かりませんが(タイトルに引っかけて8回?)、ストーリーとビジネスの決着に注目しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「Googleの正体を暴く!」が面白い

週刊プレイボーイの「Googleの正体を暴く!」は、非常におもしろく読める、それでいて核心を突いた良い連載記事だ。

グーグルにはいろんな顔があり、「Googleの正体」として何を取り上げるかは難しいところだが、今回はブック検索を切り口にしてある。

グーグルのブック検索とは、既存の書籍をデータ化して、ネットで利用できるようにしようという新規事業である。
そのコンセプトは悪いことではなく、むしろ、良いことだと私は思ってます。
(書籍原理主義では、私はありません)
ただし、問題は、やり方であり、その影響に関して、グーグルが無頓着というか傲岸不遜であること。

グーグルの進め方は、
・書籍をデータ化します
・文句がある人は、アメリカの裁判所に訴え出てくるように
と言うもの。
こうでなくっちゃ、「革命」なんてできないよとも思うけど、ストリートビューと同様に、そんなに急いてやることなのかな?と疑問も持ってた。
(で、私は頭の中でちょっと考えただけで、深く理解をするために積極的な情報収集も、具体的な抗議行動もしてこなかった。)


週プレの連載は、この疑問にピッタリ答えるものだ。
こうした話は、対立した立場同士がそれぞれの理念を主張して交わることがない宗教論争になりがちだ。
この記事では、ライターである自分が、自分の書籍をどう扱われているかと言う視点に立ち、具体的に追っていく等身大の話で組まれている。

自著のブック検索での扱いを確認し、OCRで誤った変換されて掲載されている状況や、一方的な公告一本で告知を済まそうとするグーグルに直接問い詰め、公告の連絡先に問い合わすと、たらい回しにされて、結局はちゃんとした返事が来ないと言うか、担当部署に行き着かない様を描く。
グーグル至上主義の人にこんなことを言うと怒られそうだが、その様はまるでお役所。あるいは、お役所のセクショナリズムと外資の非常さのハイブリッド。
しかも、図書館を「ロンダリング」の場に使っているあたりが狡猾。
超管理主義のビッグブラザーと言えば、昔IBM、一昔前はMSが相場だったが、どうしてどうして、グーグルってPRで作ってる明るい会社と言うよりは、IBMやMSどころではない非情な顔と途方もなく長い腕を持っているなとの印象を持った。
じゃあ、読んでいて、薄ら寒いかとか怒りが湧いてくるかと言うと、ライターの人柄や文体なんだろうけど、ちょっとユーモラス。

で、第二回目のラストでは、ついに訴訟に出た。
それは、訴訟にでも出ないと、グーグルは真剣に応対しないし、グーグルは裁判所が議論の場だと思ってる節があるので、もうこれしかないんでしょう。あえて、敵の庭に飛び込んでいく姿は、まさにジャーナリスト。かっこいいです。


「グーグルが悪玉」と決まったわけではないけれど、困ったことをしようとしているかも知れないよと言う警鐘として、あるいは、グレーゾーンを明確にして伝えると言う意味で、非情にすばらしい連載だと思います。


ホンダのF-1の記事も良かったし、最近の週プレは良い仕事してますね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

新築の家のテレビアンテナ

新築の戸建て住宅で、UHFのアンテナのみを用意している例が出始めた。
なるほど、テレビ局側の地デジへの放送移行が整い、アナログチューナーを全廃しても、テレビを見るに当たっての不都合はないわけだから、今さら驚くまでもないのかも知れない。

一方で、いまだにVHFのアンテナも設備する新築住宅は多い。
集合住宅はもちろんだし、戸建てにおいても、まだこちらが多数派のようだ。
つまり、アナログを全廃できないのであろう。

家を改めるに当たって、どうせ出入りの時期だし、省スペースにもなるし、心機一転にもなるし、地デジ対応の大型テレビを買う人も多いだろう。まあ、安くなったしね。
けれど、アナログチューナーを全廃するほど買い換えるには案外やっかいだ。
サブのテレビも全て買い換えるのは大変だし、HDDレコーダーにもアナログチューナーは内蔵されている。
特に後者がネックなのではないだろうか。

UHFのアンテナのみに割り切った家屋の住人は、高齢者のみのご夫婦であることが多いように察している。
VHFのアンテナを併設している家屋は、小さな子供がいる構成人数の多いようである。
つまり、前者は「テレビ」として、リビングに一セットのみがあり、レコーダーを必要としてない(使いこなせない)か、モニタと同時に更新してしまえて、後者は、既存のアナログ関連テレビ機器を複数有していて、それをレガシーデバイスとして、まとめて一新することはなかなか難しいのだろう。

アナログ停波まであと2年あまりだというのに、家の新築を機にさえ、テレビ関連機器のデジタル化を完全には移行できないのだから、デジタルテレビの普及度合いは、まだまだなんだろうななどと思ってみたりした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シニア空割

不景気で消費が伸び悩む中、マーケティングの仕掛は難しい。
「消費の意欲がそもそも欠けているのだから」という前提は、消費を司るビジネスであるマーケティングとって、絶望的な話だから。

とは言え、不可能ではない。
ユニクロやマクドナルドの好調のように、低価格を武器に、時代の逆風を味方にするやりかたもある。
(ただし、両社の成功が、長期的に続くかについては、私は少々懐疑的なのですが)

うまいなあと思ったのは、全日空のシニア空割。
65才以上の人を対象に、9000円の破格値でANAの国内線一便に乗ることができる(もちろん、同一単価で乗り継ぎもできる)商品である。
(http://www.ana.co.jp/dom/fare/senior_sorawari/index.html)
超割の最盛期でも1万円だったことを思えば、このチケットは安い。

ただ、一昔前の「超割」「バーゲンフェア}と違うのは、予約ができないことだ。
当日、空港のカウンターで空き席があれば、この値段で買うことができる。
立場は弱く、空席があって、発券済みでも、搭乗前に精機の値段で飛び込んできた客がいれば、そちら優先であるから、予定を厳密に立てて動く旅行には適さない。

こういうサービスの飛行機会社は、ヨーロッパのイージージェット始め、海外ではけっこうあって、でかい空港に行くと、いつ飛ぶとも知れないイージージェット待ちのバックパッカーが床に転がっていたりするが、日本の国内線限定であれば、空港に寝泊まりするほどの長時間にはならないだろうし、また、24時間空港じゃないから、できもしない。

時間とドタキャンを許せる心のゆとりと引き替えの定額料金で、空席を埋めようという全日空の狙いは上手いと思う。
しかも、これはマイレージカードが必須。
単なるマイレージカード普及キャンペーンより、そのカードの存在を意識させ、かつ申し込みをさせる動機付けが強い。
マイレージカードを持って、マイレージを貯め始めると、それが一種の規格縛りになって(ベータのユーザーが、ベータのビデオテープを買い続け、キャノンのプリンターを持っているとインクはキャノン製品を買い続けなければならないように)、どうせ乗るならこのエアにと心理的になっていく。
利用客のエア選択を決めるから、マイレージカードは重要でだから、マイレージカードを持たせて、ほどほどマイレージが貯まっていくことが、プロモーションとして大切なのである。

ANAにしても、空席を運ぶよりはマシで、マイレージカードのキャンペーンにもなるわけで、お互いの無駄を省く良いサービスだと思います。
「発券済みでもキャンセルあり」ですから、空港の受付カウンターは大変だと思います。
今日乗れるかどうかが読めませんから、旅程をしっかり組むタイプの人には向かないと思います。
廉価がリスクに勝ると思う人に向くサービスです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

グーグル・「カイゼン」

グーグルは収益モデルから考えると、広告収入モデルである。
また、それまでのマスメディア広告モデルと比べて、費用対効果が高く、効率がよいから評価され、広告が集まると共に、投資マネーが集まって大きな成長を遂げた。

しかしながら、世界的な景気後退の中で、広告費は減少し、投資マネーも縮小している。
グーグルは初めて逆境に立っていると思う。

もちろん、グーグルが目指している、ターゲッティング広告は正しい。
従来型のマスメディア広告は、大ざっぱすぎて、価格競争が激しく薄利の現代の商売において適さない。
また、広告表現が消費に影響する力も衰えた(消費者が、広告表現を理由に消費しなくなってきた)。

不景気という逆境と、新型広告モデルのプラスの中で、グーグルはどうなるのか?
私見を述べると、しばらくはグーグルの広告収益は鈍化することはあってもまだある程度伸びる。
それは、クライアントが不景気とは言えある程度の広告予算を用意していて、しかし、短期間に費用対効果に優れた成果を上げることを求められており、するとツールはネット広告は有力な選択肢であり、マス広告の売り上げを奪って、まだ、伸びると思う。

グーグルの広告モデルは、無駄を省き、精度高く広告を表示し、また、クリックという成果に基づいてしか課金しない。と言う合理的なモデルで、マスメディアによる広告が独占されていた閉塞を打ち破った「革命」(特権階級を打ち倒したという意味では「民主革命」だな)である。
しかしながら、(まだ誰も指摘していないが)グーグルの広告モデルは、ビジネスの技法で言うと「カイゼン」」である。
広告という巨大な市場が、ずぶずぶのムダなしくみであったから、カイゼンは稼働したし、まだしばらく続くだろう。
しかし、グーグルのしていることは、既にある価値創造のしくみを無駄なく運ぶことであって、(少なくとも)広告ビジネスとしては何ら新しい付加価値を生み出していない。

カイゼンのご本家が「自動車絶望工場」であるように、カイゼンは無駄を省くけれど、それは会社や社員の「遊び」(どんな機会やシステムにも「遊び」は必要で、それが全くないと帰って操作しにくい)を削っていく。

グーグルはまだしばらくは、ムダの上にあぐらをかいたマス広告や大ざっぱで経験主義的なSPを取り込んで成長するだろうが、改善の対象を失った段階で行き詰まるのではなかろうか。
それはもしかしたら始まっているのかも知れない。
町並みを全部デジタル化したり、DNAをデータベース化したりしているが、広告モデルとして採算性のある事業ではないとグーグルのトップも言っている。

もしかしたら、カイゼンする広告分野が無くなって、新たな収益源を見つけられず、袋小路にはまりつつあるのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【メモ】大不況以降のマーケティングとは

「大不況が来るよ」というような内容のセミナー講師をしてきました。
(http://www.tnb.or.jp/0925.tanimura.pdf)


このタイトルをつけたのはまだ8月で、「炎の日曜日」(あっという間に廃れた呼称ですが)以前でした。
正直なところ、不況になるのは年末から年度末と見ていて、それにあらかじめ備えようという話をする予定でした。

世界恐慌クラスになるかも知れない経済混乱が来そうとなると、“マーケティング”という概念が根本から問われると思うのです。
「売れない時代に、何とかして売る」マーケティングですが、売れないの意味が、商品やサービスが過剰だからではなく、消費が冷え込むことで過少になるからになるわけですので。

そういうパラダイムシフトを念頭に、マーケティングを再構築してみようと思います。
たぶん、消費者主導で消費の総量を提示するような路線は、景気の底を造る意義があると思うのです。
その総消費量は、業界や企業が予測する数値よりはるかに小さいと思うのですが、「何とかして生きていくのだ」という文化的で健康的な最低限度の消費がベースですので、これはそう簡単には割らないと言う意味で「底」になるのではないかなと思うのです(いや、それすら維持できない大恐慌の恐れもあるのですが)。

この最低限は社会的に維持するという合意で、生産や流通を組み、それをシェアするあたりに線を引かないと、今回の不況は底が見えないままではないかと今のところ考えています。
こうした考えを、早く仮説としてまとめてみようと思います。
(「思います」「考えます」が多い、主観的な文章になりました)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«「いろいろもう死んでいる(雑誌編)」に思う